ライゾマティクス、椎名林檎参加のリオ閉会式の東京五輪 芸術パートで涙

2017/08/22

tokyo20201

少し前の話ですが、リオの閉会式でのプレゼン演出があまりにも素晴らしくて、久々に胸がときめきました。

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トラディショナルに寄り過ぎなかったのがよかった

 

こういう国際イベント日本がアピールするときほど、「サムライ」「ゲイシャ」「フジヤマ」的なトラッドなものを活用しがちなだと思いますが、どうもこれまでは真面目に日本のトラッドなものを取り入れてしまいがちなので、海外から見たステレオタイプなイメージとのギャップが生まれがちで、逆に寒い演出になってたのかなって、思います。

例えば、リレハンメル閉会式の長野五輪プレゼン

日本神話や雅楽、歌舞伎、伝統芸能を組み合わせたショーですが、さすがにここまでくるとピンとこない人が多すぎて、かなり寒い感じになってしまってます...

そういう意味では、今回のリオでの東京五輪プレゼンは、非常にわかりにくく、やもすると押し付けがましい日本の伝統をあまりに前に出してこなかったのがよかった。

ポップカルチャーとテクノロジーが混じり合う東京の文化的個性

「キャプテン翼」「ドラえもん」「キティちゃん」「マリオ」といった国産アニメやゲームを多用していたのが今回の特徴でしたが、演出としては個人的に「?」とは思っているものの、東京をプレゼンテーションする意味では戦略的な発想だと思いました。

トラディショナルなコンテンツだと、どうしても海外と日本ではギャップが生まれてしまうからこそ、アイコンとしてグローバルに認知されている日本のポップカルチャーを取り入れていくというのは、ある意味では日本人が海外からの意識をしたと同時に、「日本」というより「東京」をより個別に切り取ったのかなと思います。

シンガタ佐々木さんがプロデュースした映像も、東京にかなりフォーカスを当てていて、「日本の伝統文化」ではなく、「現在進行形の東京」を押し出したものになっていました。
(安倍マリオについては、ちょっとコメントし辛いものがありますが)

そこに、ライゾマティクス真鍋氏のARであったり、Perfumeのプロデューサー中田ヤスタカのテクノミュージックがはさみ込むことで、トラッドな日本ではなく、最先端の文化拠点「東京」を更に印象付けるように彩られたと思います。


テキサスで毎年開催される文化とテクノロジーの祭典「SXSW(サウスバイサウスウェスト)」でのPerfumeのパフォーマンスも、ライゾマティクスの特徴である「無機質な線」が「有機的」に動く演出とARの組み合わせが、凄まじくかっこいい。

現代日本独自の感性、椎名林檎


音楽監修として「椎名林檎」が名を連ねていますが、後半のフラッグパフォーマンスといい、全体的に椎名林檎的世界観が満載でした。


これとか、まんま下敷きな感じはありますが

「無罪モラトリアム」で登場した時から鋭角に突出していた独特のセリフ回しや世界観に裏付けられた劇場型の作家性は、かねてより「日出づる国、ニッポン」的な要素を随所に散りばめ、時に「ファッション右翼」と一部から罵られはするも、一貫して古来から日本人的価値観と現代的な文化価値観を高次元でアウトプットしてきた、ある意味で現代日本における独自の感性の象徴の一つだと思います。

そんな椎名林檎は今回、音楽監修という形で演出に参加していますが、上述のシンガタによる映像で使われたのはsoil&pimp sessionsと、いわゆる「ジャズ」ではありますが、ここにも椎名林檎らしいチョイスを感じました。

soil&pimp sessionsはクラブジャズというカテゴリーで語られることが多いバンドではありますが、その「クラブジャズ」というのも本来は「西ロンドン」を中心とした「アシッドジャズ」のムーブメントから派生しており、本来の「ジャズ」発祥地である「ニューオーリンズ」などの南部アメリカで生まれたジャズをイギリスの感性で「踊れること」に特化させた音楽になります。

「クラブジャズ」という音楽自体がかなり自由度の高い音楽性ではあるものの、「ジャズ」本来の精神性を保持しつつも、ロンドン発祥の「踊れるジャズ」というフォーマットにうまくフィットさせたsoil&pimp sessionsもまた、現代日本的な独自の感性をもったバンドだと思います。

椎名林檎は五輪演出に関して「外から見た日本のカルチャーとのギャップを、ここへきて相殺し、ゼロ地点を示したい」という言葉を発していますが、外からのカルチャー(いわゆるトラディショナルな日本のカルチャーと昨今海外から評価の高いポップカルチャー)に対し、そっくりそのまま返すのではなく、海外には伝播されていない現代日本的な独自の感性でアプローチすることで、海外が描くカルチャーイメージをぶち壊し、現在進行形の日本のカルチャーを改めて示す、ということと認識しています。

これまで知られることのなかった日本の独自性、わかりやすいアイコンという形に頼らずとも現代の日本人にしか生み出せない圧倒的な個性によって、雑多でありながらも洗練され、欧米の文化を下敷きにしつつも独自に進化した現代日本の文化を示す、戦略的な発想だったということに脱帽。

音楽的な観点でいえば、韓国がマーケットイン的な国策により、文化的な市場は日本とは比べものにならないほどの発展を遂げたのに対し、国際競争力の低い日本の音楽文化を、新しい国際市場の創造を照準に入れた発進の場としてオリンピックを使ったということであれば、非常に興味深い話であります。

スポーツと文化的活動による国際イベント、オリンピック

意オリンピックの基本理念は「スポーツ」だけでなく「文化的活動」も重要事項としてオリンピック憲章の中で語られているのは意外に知られていない。

「文化的活動」を奨励し、国民に対し文化に触れる機会を創出することもオリンピックを開催する国の義務なのである。

そんな「スポーツと文化の祭典」であるオリンピック。

個人的にはオリンピック招致に絡む金や政治のきな臭い匂いが気になって今一つピンときていなかったものの、「日本の文化」を国際的に発進する場として、その照準を合わせ、戦略的に4年後に向けた「攻めの一手」を打ち出してきたリオ閉会式でのプレゼンテーションショーを見て、世界に誇る日本の文化の発信に対する国の姿勢が見れたのは非常に安心しました。

オリンピックのためだけの一過性のものでなければいいのですが、ひとまずこれからの4年間が楽しみです。


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